感想:死んで生き返りましたれぽ
この本、しれっととんでもないことを書いてありました。
明記されていなかったと思いますが、著者は漫画家かイラストレータのようです。
過酷な寝不足、偏食などの不摂生の結果、ある日倒れて病院へ運ばれるのですが、
なんと、心肺停止します。
そこから奇跡の復活をとげて、リハビリして絵が描けるまで回復するというお話なのですが、いやいや、ちょっと待って!
心肺停止って!
タイトル通り、著者は死んで生き返っています。ものすごいレポートです。
このような体験を、漫画という表現方法で伝えられるということに、感動しました。
漫画などの伝達手段を持たない普通の人の場合、せいぜい自分の周囲の人にだけしか伝えられません。しかも、言葉だけですと、臨死体験は何となくスピリチュアルな、ちょっと嘘くさい雰囲気が含まれてしまう恐れもあります。
特に、伝聞が続くとより本当っぽさが無くなるのではないでしょうか。
その点、漫画で伝えるというのは非常に優れた伝達手段だなと思いました。
作者は後頭葉が病気になり、人の顔に無数の縦線が入って見えたり、四角いものの区別がつかなくなったりします。こういう状態を絵で表せるというのは、自身の不安や驚きをそのまま再現できるので、とても分かりやすいです。
脳が壊れ知覚が壊れて、人が喋っている言葉の内容は理解できなくても、それが自分を責めているのか、案じているのかは伝わっていたそうです。
非科学的かもしれませんが「心」のようなもので伝わるということがあるのかもしれません。普段、言葉や表情などでコミュニケーションをとっている場合でも、「心」を込めることが、大切なのかもしれませんね。
「現実」と綱引きをしない
2冊紹介します。
1つは水島広子という精神科医の方の本です。もう1つは、下園壮太という元自衛隊のメンタル教官の方の本です。
水島さんの本は、カウンセラーの語りかけのようで、理屈は少なめでした。男性より女性向けかもしれません。
下園さんの本は、男性向けという印象を受けました。
水島さんの本は、「今」に集中することが、周囲の人や仕事に振り回されない生き方につながるというお話。最も印象的だったのが、タイトルにも書いた「現実」と綱引きをしない、という文章です。
つい、「気にしすぎ」てしまう人へ―――こころの荷物をそっと降ろす本 (王様文庫)
- 作者: 水島広子
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2018/07/30
- メディア: Kindle版
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現実をありのままに受け止めて、「評価」をしないようにしましょう。ということです。「評価」というのは、良い悪いだけでなく、「こうであったらいいのに」「あのときこうしておけば、、」といった、現実に対する思い、希望も含みます。なぜなら、それらは現実を否定する考えだからです。
現実を変えようとすること=綱引きということです。しかし、現実は現実で変わりません。
これは、ついやってしまいがちですが非常につらいです。現実を変えられるものと思っていると、変えられないのは自分の努力が足りないからだ、と自分を責めてしまう恐れがあるからです。そうなると、自己肯定感が下がります。
なぜ現実を帰られると思ってしまうかというと、これは下園さんからになりますが、子供のころは成長するにしたがって、今までできなかったことがどんどんできるようになります。そのため、あたかも現実を変えられたかのように錯覚してしまうからです。
子供のころはある課題に対して、一人でやる、全部やる、最後までやる、ということをやって、そして達成可能でした。また、子供の場合、それらを達成すると大人から褒めてもらえるという、ご褒美つきでした。
このやり方を大人になっても変えられない場合、上記のような現実との綱引きに陥ってしまいがちです。
人間は、これまでやってきたやり方を、特にそれで上手くいった経験があるやり方を変更する、というのには抵抗を感じる生き物です。そういう仕様になっています。私もそうでした。
この本で紹介されていて、なるほど、と思った言葉は「変更ではなく追加と考える」です。
子供のころの体験に基づくやり方を、変える・変更するのではなく、そのやり方の上に、新しいやり方・考え方を追加する、というのは心理的にも抵抗なく受け入れらます。
仕事や人間関係で疲れた方におすすめに2冊です。
自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)
- 作者: 下園壮太
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/02/13
- メディア: 新書
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感想:大家さんと僕
吉本問題で話題のお笑いコンビ・カラテカのボケ担当である矢部太郎の本です。
マンガ描いてたんですね。知りませんでした。
大家さんである上品なおばあさんと、その方の家の2階に住むことになった矢部さんとのほのぼのした日常生活を描いたマンガです。
本には、8年前から大家さんの家に住んでいると書かれており、出版が2017年ですから、住み始めたのは、2009年ごろでしょうか。
矢部さんがマンガを描いているのを、相方は知っていたのでしょうか。逆に、矢部さんも相方が闇営業(闇、という文字が印象を悪くしてますね、、)しているのを知っていたのでしょうか。
この本を読みながら、吉本問題の発端となったコンビのことを考えてしまいました。
大きなお世話だと思いますが、お笑い向いてないのでは?と思ってしまいました。
昔の記憶ですが、TVに出ていた矢部さんは、かなり緊張していてうまく喋れていなかった印象があります。
しかし、マンガでは自分の考えや気持ちをうまく表現されているように思います。
自分を上手く表現できる職業に就く、ことが大切なのかもしれません。
職業の向き不向きは、やってみないとわからないものですし、また、やってみたところで、自己評価と他者からの評価は違ったりしますから、自分がやりたいことをやる、というのが良いのかもしれませんね。
しかしこの大家さん、伊勢丹までタクシーで行って、たらこ1個買ってくるってすごい金持ちですね、、、。
ワンピース93巻 ネタバレ感想
ようやく発売されました93巻です。
前巻が3月の発売でしたから、4ヵ月も間があきました。これまでは、長くても3ヵ月だったと思うのですが、やはり映画などの対応でジャンプのほうの進行が遅くなっているからでしょうか?
さて、内容ですが、よくわからなかったことが1つ。
小紫って切られた後、どうなったの?と思ってたら、突然おトコちゃんを抱いて登場したけど、なぜ!?
というところです。
狂四郎に切られたはずなのに生きていた、ということは、狂四郎は少なくとも小紫の味方なのでしょうか?
と、考えてみますと、赤鞘九人男の「傳ジロー」って、一回だけシルエットで出てましたが、それ以降出てないですよね。
ということは、「傳ジロー」=「狂四郎」という可能性もあるのでしょうか?
というか、イヌアラシとネコマムシは九人男に含まれていたのですね。
彼らの強さは尋常じゃないような記述でしたから、今後彼らの強さを表現するようなシーンが出てくるはず。
九人全員に活躍の場面を与えるとしたら、それだけでだいぶ話数を食ってしまうような気もしますが、どうなるのでしょう?まあ、ビッグ・マム海賊団も近くにいますので、彼らとの闘いもあるのかもしれませんね。
ペドロが死ぬきっかけになったペロスペローとイヌアラシとの闘いとかは可能性あるかもしれません。あれ、イヌアラシはペドロが死んだこと、誰かから聞いているのでしょうか?
シルエットだけの河松、おでんなどひっぱりますね。
こんなにも姿を登場させずにひっぱれる週刊連載マンガはワンピースだけなのでは?
まあ、バンバン新キャラ登場でもついていけなくなりますね。
今回、牛鬼丸や鎌ぞうが登場しましたが、って誰!?って感じです。
一方で、キッドやカイドウは一コマも出てないんですね。カイドウは、スマシ越しの登場はありましたが。
これもまたスゴイことで、作者はこのような1巻に登場する人物を制御しているような気がするのです。
最後に、今後の展開予想ですが、ワノ国過去編でコミックス1巻分ぐらいはあると思います。おそらく、味方を集めていざ決戦!!の前に、過去編突入ではないでしょうか?
まあ、単純に進まないのがワンピースの醍醐味です。
私なんかの想像の遥か上をゆく、衝撃展開を期待しましょう!
ではまた。
わんぴーす雑記(2)
今回はキャラの強さに関しての考察をしてみたいと思います。
懸賞金はその人物の強さではなく危険度でを表している、というセリフがあったかと思いますが、とはいえ大まかな強さを示していると考えて差し支えないと考えます。
まず四皇の強さは、圧倒的で、ギア4のルフィでのかなう相手ではないでしょう。
そこで、とりあえず通常のルフィの強さを1Lとして推測していきましょう。
まず、仮の四皇の強さとして100Lぐらいに設定してみましょう。ビッグマムとカイドウもともに100Lとします。多少、能力による「技の強さ」で変動は当然あると思いますが、だいたい同じとします。
次に、ビッグマム海賊団の3将星ですが、これはカタクリがギア4ルフィにやられたことから考えて、5~10Lぐらいの範囲としておきます。つまりギア4で5倍ぐらいのパワーアップという計算になります。
ここまで考えてみて思うのは、今後のストーリー予想として、ワノ国に乗り込んだビッグマムvs大看板というのはあり得そうですね。「四皇は圧倒的に強い」ことを示すために、咬ませ犬的にジャックあたりが一撃でKOされたりするのではないでしょうか?
ゾウにもやられ、酒天丸にも一発喰らってるので少しかわいそうですね。
酒天丸が出てきたので、彼の強さを考えてみましょう。ジャックおよびイヌアラシと互角のような描写でしたね。では、ジャックはどの程度の強さなのかを考えてみると、「ここは3将星と同じ」としましょう。つまり5~10Lですね。
さて、以前も書きましたが、今後の展開予想として、このまま計画通りに、同盟組vsカイドウ→勝利!→ワノ国開国!とはならないと考えられます。倒すのか、それともポーネグリフ(の写し)だけ奪って逃げるのか。
70巻で青雉が、「新「海軍本部」始まって以来のドデケェ山になる」と言ってました。この「ドデケェ山」=「ワノ国編」とすると、海軍も絡んでくることになると予想されます。
となると、やはりポーネグリフを奪う路線になるのでしょう。
ただ、まったくカイドウとのバトルがないというのも、盛り上がりに欠けますね。
とすると、ここはカイドウvsビッグマムの可能性が出てくるのではないでしょうか。
「四皇バトル」とかタイトルありそうですね。「ダイアルバトル」みたいに。
四皇はめちゃ強い、ということを示す必要があるように思うのです。そういえば、シャンクスと白ひげが剣を交えたことありましたね。あの時は、空が割れましたので、カイドウvsビッグマムでも空の一つや二つ割れそうですね。
もし、そのバトルがあると、双方それなりのダメージを受けて、そこに海軍が参戦して、カイドウ&ビッグマムともに海軍に捕まる、なんてこともあるかもしれませんね。
さて、ここで強さの考察に戻ります。圧倒的に強い四皇に対し、サカズキはどの程度の強さなのでしょうか。2年前の頂上戦争で、白ひげに割とがっつり攻撃を喰らってたところから考えると、四皇レベルではないと推定できます。
ここでは白ひげは、四皇クラスなので100Lと考えます。まあ、病気&老化で弱くなったことを考慮しても、80Lぐらいとしておきましょう。
そして、冥狗で一撃喰らわせたことを考えると、サカズキ(2年前)は50Lぐらいの強さでしょうか。
大将サカズキが50Lなので、ここでもざっくりですが、「大将=30~50Lぐらい」と仮定しておきましょう。つまり、クザン、黄猿、藤虎、緑牛はだいたい30~50Lぐらいということです。
パンクハザードで、ドフラミンゴとクザンが対峙しましたが、ドフラミンゴはクザンとは闘う気はないと言っていたことから、闘うと痛手を負う確率が極めて高いからだと推定できます。
とすると、30~50Lより低いので、ドフラミンゴの強さは10Lぐらいでしょうか。100Lのカイドウにビビるのも無理はないですね。
ギア4ルフィが5Lと考えましたから、ルフィ一人ではドフラミンゴ(10L)には敵わなかったということになりますね。ローとともに戦ったから勝てた、というのはおおむね妥当だと考えられます。
続きははまた後日考えてみることにしましょう。
ではまた!
健康を維持するために
健康維持で大切なことは、睡眠だと思います。
もちろん食事も大切ですが、睡眠不足だと美味しいものもよく味わえなくなります。
睡眠で大切なことは、量よりも質だと思います。
ダラダラ10時間ぐらい昼まで寝ても体はだるく、一方で、ぐっすりしっかり6時間ぐらい寝たほうがすっきりした経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
では質のよい睡眠はどのようにすればとれるのでしょうか。
それは、体を温めることと、筋肉をほぐすことです。
具体的には、暖かい飲み物を飲んで、そのあとストレッチをします。
科学的根拠はないですが、朝までぐっすり寝れます。
もちろん、飲みすぎると夜中にトイレに行きたくなりますし、ストレッチもやりすぎると、汗をかいて興奮状態になるので、どちらもほどほどです。
ちなみに、この睡眠方法は、「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部で吉良吉影が言ってました。彼はホットミルクだったかと思いますが。被ってうれしいのか悪いのかわかりません。
良質な睡眠をとって、毎日頑張りましょう。
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続けることの難しさ
続けることは、なぜこんなにも難しいのだろう。
ただ淡々とこなすだけ、と言ってしまえばそれだけなのだが、それがなかなか難しい。
人間は飽きる生き物だからだろうか。
初期は新鮮さを感じで行動でき、成長も実感できるが、中期になると義務感や作業感で退屈になり、また同じ行動量に対しての成長量が減るため、成長率を実感できなくなるからだろうか。
行動の目標やゴールを強く意識していないか、または明確に設定できていないからだろうか。
私がブログを始めたきっかけも、「何となく」であった。これまでやったことのないことを、あえてやってみようという考えで初めてみた。
書きたいこと、出力したいことは、たびたび頭に浮かぶ。これを記事にしたら面白いのでは?と思い、書き始めるまではいい。
しかし、そこから先が進まないのだ。
この状態はとても不思議に感じる。書きたいことはわかっている。しかし、うまく文章にできない。表現できないのだ。
文章のトレーニングとか、そういったことで解決できるのだろうか。
文字という表現方法ではなく、絵で説明した方がよいのではないだろうか。
などと、頭の中で思考が走り出すのだ。そして書けなくなる。
そして私の脳は言い訳を始める。
文章力がないから書けなくて、今は書くために参考として本を読んだりしているのだ。
文章以外のほかの方法での表現の可能性を探しているのだ。と。
こういう言い訳を封じるには、「とにかく書く」以外にないと思う。
思いながら、この文章を書いている。そして、苦しみ悶えながら書きつづけるしか道はなにのだと自分に言い聞かせる。
愚直に続けるなかで、様々な技法を学び適用していくのであって、開始前から技法を学んでも、いざ実践してみると、当然、ふりかかる課題はひとつずつしか対処できないため、多くの知識を事前に身につけるやりかたと、その都度学び対処するやりかたでは、時間的には差はない。
そもそも、実践で身につけることこそ、「学ぶ」ことだ。ちなみに、「学ぶ」の語源は、まねをする、という意味の「まねぶ」だそうだ。
今自分が歩いている道は、誰かが先にとおった道ではない。自分が進めば進むぶんだけ道ができる。そういう道を歩いているという実感を持つ。
どこまで続くかわからない道だが、とにかくいけるところまで歩いてみたい。
ではまた。