タイムスリップについて
タイムスリップと聞くと、誰もが「時間を移動すること」と思うのではないでしょうか。
ただ、なぜ「スリップ」なのでしょうか。
というのも、宮部みゆきさんの「蒲生邸事件」を読んだとき、時間旅行=タイムトリップと書かれていたのを読んで疑問に思ったわけです。
確かに、旅行ですからトリップ、トラベルになります。実際、タイムトラベルとも言いますね。タイムトラベラーとか言いますね。
さて、ここから仮説なのですが、なぜ「スリップ」が定着しているのでしょうか。いつからタイムスリップといわれるようになったのか。
直感的に思ったのは「Dr.スランプ」が元なのではないでしょうか。
タイム君という時計の形をしたキャラクターがガラス板の上で、「ターイムスリーップ!」という掛け声とともにスリップすると、過去に行けるというものでした。
Dr.スランプは当時大人気だったこともあって、この「タイムスリップ」が定着したのではないでしょうか。
こういうのってどうやって調査するんでしょうか。
外来語和訳
最近、仕事をしていて経験することなのですが、英単語を使う人って結構増えてきたように思うのです。
例えば、「会議をアレンジしてください」とか、「フレキシブルに対応しよう」とか「いったんペンディングしましょう」とか、わりと日常に溶け込んできているように感じます。意味も、まあ共通認識になっているかと思います。
しかし一方で、何となくわかるけど、説明するのは難しい単語もあります。
例えば「コンセプト」です。
調べると、
1.概念
2.企画・広告などで、全体を貫く基本的な観点・考え方
だそうです。
何かわかったようなわからないような気がします。
そこで、もう少しわかりやすいように、新しく和訳を作ってもいいと思うのです。
明治時代にも、新しい和訳がたくさん作られたようですので、現在でもどんどん和訳していこうと思います。
さて、コンセプトに当てはめたいのが「題概念」です。
概念だけでは、ボヤっとしているので、その概念を一言で表すという意味で、タイトルとしての「題」をつけてみました。
いかがでしょう。
まあ、だからどうというわけでもないのですが。
余談ですが、マネジメント(management)の動詞形manegeの意味は、「何とか成し遂げる、何とかやっていく」という意味です。
進捗管理だと思っている人が多い気がします。確かに管理という意味もあるようですが、あくまで管理は、何とかする方法の一つです。
マネジメントも何か良い和訳ができるといいのですが。
日本語で考える、というのは日本語を言語として生活している人にとっては非常に重要です。以外と、その言葉の意味をあいまいにしたまま使用している場合がありますので、この機会にひとつずつ調べて確認していこうと思います。
ではまた。
「すみません」より「ありがとう」
生活のふとした場面で、人に親切にされることがあります。
例えば、先に扉を開けた人が、その扉を自分のために押さえてくださったり、自分が落としたものをサッと拾ってくれたり。
そんなとき、つい「すみません」とか「ごめんなさい」と言ってしまします。
友達や同僚、家族にも同じように言ってしまうことがあります。
しかし、こういうとき積極的に「ありがとうございます」と言いたいと思っております。ただそれだけなのですが、何か前向きに気分になるような気がします。
「すみません」は相手の行為に対して、「面倒なことをさせた」と認識しているからこそ出るわけであって、相手の行為に感謝しているというより、謝罪の感情が優先しているみたいです。
相手に感謝しているのであれば、その感謝の気持ちを込めて「ありがとう」とストレートにぶつけるほうが、気持ちが良い気がします。
日常の些細な場面だからこそ、ほんの少しだけより良い方向に力をかけてみたいものですね。
ではまた。
脱完璧主義のススメ(2)
ブログを開始して3週間ほどたちました。
ほかの人のブログを読んでみると、みんな上手に書いていてすごいなぁと尊敬の念でいっぱいになります。
その後、自分のブログを読み直すを、あまりにショボくて暗い気分になります。
自分の性格として、そういう状況に置かれると、必ず発動するのが「〇〇しなければならない」モードです。
「たくさん書かなければならない」「ひとつの文章は短くなければならない」など、こうしなければならないという、考えに取りつかれてしまうのです。
本やネットでは、ブログの書き方や文章の書き方など、情報があふれていますが、どれを見ても大体同じようなことが書いてあります。
そうすると、やはり「こうするのが良いのか!」→「こうしなければならない!」となってくるわけです。
それで、そのままできればいいのですが、大抵上手くいきません。それは当然で、文章にせよブログにせよ、上手な人はこれまでに多くの努力を積み重ねているからです。その積み重ねのてっぺんの部分が表に出ていて、我々はそれを観測しているのです。
その見えないところの積み重ねは普段は意識していないのです。
また、本に載っているコツや考え方というのは、多くの人がいろんな試行錯誤をしてきたからこそ見えてきたエッセンスのようなものであるわけで、それを素人がそのまま丸写ししても、当てはまらない場合もあるわけです。
したがって、今自分が何をしなければならないか、というと、とにかく「考えてたくさん書く」というところに収束するのでしょうね。
完璧主義の場合、「こうしなければならない!」と考えて、本の丸写しでやってみて上手くいかず「できない!」となって、解決法を探してまた本を読んで、、、の繰り返しになる恐れがあるます。
というか、自分自身がそうでした。いや、今もそうですね。
ということで、これからもたくさん書いてみたいと思います。
ではまた。
「ないもの」に目を向けない
精神衛生を良好に保つための秘訣だと思います。
「ないもの」に目を向けない、ことです。
過去の出来事を後悔するのも、今ないものに目を向けているわけで、
未来に期待するのも、今ないものに目を向けていることになります。
他人と自分とを比較すると、ないものが必ず出るのは当たり前です。
自分が「できない」と感じることも、能力不足という、ないものに目を向けています。
「ないもの」に目を向け、気持ちが奪われても、「ないもの」を「あるもの」に変えることはできません。
できるように頑張ろうとするのは、できない今に立脚しているものですが、ないものばかりに気が向くと、ネガティブな感情に支配されてしまします。
できるようになるには、必ず時間がかかります。一瞬でできるようになったり、一発で成功することはありません。
やはり、「今、ここ」に意識を集中して、今できることをやる、というのが最も重要なのかなと思うわけでございます。
ではまた。
自律神経に介入する
普通に仕事して生活していると、自分ではどうにもならないことにイライラしたり、仕事の期限が迫って焦ったり、人間関係で神経を消耗したりします。
こういうとき、心拍が早まったり、汗をかいたりするのは、自律神経の作用だそうです。自律神経は、その人が生きている限り、寝ている間も活動を続けています。
食べたものを消化したり、排せつを促したりするのも、自律神経です。
自律神経は、自分では制御できないように思います。心拍を自分の意志で早めたりはできません。
イライラを抑えたり、焦らず落ち着きたいときは、自律神経にされるがまましか手段がないように思います。
しかし、ひとつだけ自律神経に介入する方法があると私は考えています。それは「呼吸」です。
人前で話す場面などで、緊張してソワソワするときや、爆発しそうな怒りでムカムカしているとき、腹の底まで空気を届けるように、ゆっくりと深呼吸しましょう。
何秒で吸ってはいてとかは気にしなくても構いません。自分のペースでやりましょう。
ゆっくりと吸ってはいてを10回繰り返すだけでも、気分が落ち着くはずです。
ソワソワ、ムカムカしているときに、「深呼吸しよう!」なんて思わないかもしれません。すぐにはできないかもしれません。
しかし、そういう方法があるんだ、と知っているだけでも気持ちに余裕が出てきます。
そしてあるとき、ふと「やってみようか」と思うことがあるはずです。
そうやって少しづつ、対処できるようになるといいなと思って、私自身、日々深呼吸を忘れずに過ごしているわけでございます。
ではまた。